「New Moon」
Mid Night ヨコハマ
Mid Night ヨコハマー午前四時 10
************
安普請なドアの閉じる音がした。部屋を去った足音が遠のいていく。
その足音がしなくなるのを待って、裕貴は目を開けた。
安アパートのシミだらけの汚れた天井が見える。自分の家でも見慣れた光景だ。
裕貴は体を起こすと、パンツのポケットを探り、くしゃくしゃになった煙草を引っ張り出した。一本咥えて、火を点ける。
煙を吐き出してから、そっと指先で、一臣が触れた唇を撫でた。
「…バカか…、あいつ」
そう呟いてから、裕貴はふんと鼻で笑った。
深夜のコンビニの前で、一臣と言葉を交わす前から、裕貴はあの少年の存在に気づいていた。
同じ時間帯の同じコンビニで、同じ顔に数回出くわせば、嫌でも目を引く。
それは、裕貴のように、社会の枠組みから外れて生きている不良少年にとっては、身についた防衛本能ともいえるものだった。
深夜、徘徊している少年を狙う補導員、自分たちのような行くあてのない子どもたちを利用して骨までしゃぶりつくそうとする街の獣たち、たいした訳もなく暴力衝動を発散させる相手をただ探している同じような境遇の狂犬もどきの子どもたち――そういった敵から身を守る術だ。
見慣れない顔、逆に目にしすぎる顔――裏社会の最下層に位置し、常に捕食される側の不良少年たちは、そういったものに敏感だ。そうでない者もいるが、そういう者たちは、裏社会の強者たちに喰い物にされて、それで終わるだけだ。
最初に一臣が目についた時、裕貴はすぐに、自分には関係のない種類の人間だ、と選別した。
一臣が、小綺麗な私立校の制服を着たお坊ちゃんだったから、という理由だけではない。
たとえ一見、真面目そうな一般学生でも、油断のならない時もある。脅されて不良のパシリに使われている場合もあるからだ。
しかし一臣は、不良少年に利用されるタイプには見えなかった。
一臣に目を留めた裕貴は、すぐに一臣自身もまた裕貴たちを意識していることに気づいた。むしろ、自分たちの存在を意識した一臣の態度が、裕貴の注意を喚起したのかもしれない。
一臣は、夜毎、コンビニの入口ですれ違う裕貴たちを、明らかに気にかけていた。それでも、一臣は、裕貴たちに話しかけてくるわけでもない。
なに、見てやがんだ、こいつ――
最初は、一臣の視線に苛立った裕貴だったが、その苛立ちはすぐに消えた。
一臣は、裕貴たちに興味本位の好奇の視線を向けているわけではないと感じたからだ。
とはいえ、手入れの行き届いた制服をきちんと着込んだ、育ちの良さそうな長身の少年は、社会からドロップアウトしている裕貴たちを、見下すわけでも、絡まれると怯えているようにも見えなかった。
好奇でも蔑みでもない、一臣の視線――
けっして交わることのない違う世界の住人同士、これまで互いに存在することすら知らなかったまったく違う人間同士が、初めて互いの存在を知ったかのように――ただ、コンビニの入口ですれ違うだけの関係――
一臣もそれ以上の好奇心を向けてこうとはしなかったし、裕貴も、一日置きに少年を見かけることに慣れてきた。
コンビニでいつも同じ清涼飲料水を買い求めていたその育ちの良さそうな少年は、なぜだか、けっして食べ物を買おうとはしなかった。
金持ちそうだから、コンビニ飯なんて不味くて食えねぇんだろうな――
裕貴はそんな風に思っていた。
幼い頃から、親にろくに世話などされてこなかった裕貴にとっては、コンビニこそがおふくろの味だった。
深夜に子どもが買い物に来ても、誰も見咎めない――誰も、裕貴を見ていない。
一臣がコンビニで買い食いをしないのは、ひとえに母親が用意している食事を食べることができなくなると困るという理由からだったのだが、そんな風に育った裕貴には、一臣がコンビニで食べ物を購入しないその理由は、想像もできないことだった。
息子の帰りを、今か今かと待っている母親の用意した食事を、少しでも残したりしたら、一臣の母親の機嫌はたちまち悪くなる――もしくは食欲がないのかと過剰な心配で騒ぎ出すだろう。それが煩わしくて、一臣は帰宅直前に物を口にしない癖がついた。
そんな一臣の家庭環境は、裕貴には想像もつかないものだった。
親が食事の支度をして子どもの帰りを待っている――そんな多くの子どもにとって、当たり前の日常は、裕貴にはけっしてないものだったから――
安普請なドアの閉じる音がした。部屋を去った足音が遠のいていく。
その足音がしなくなるのを待って、裕貴は目を開けた。
安アパートのシミだらけの汚れた天井が見える。自分の家でも見慣れた光景だ。
裕貴は体を起こすと、パンツのポケットを探り、くしゃくしゃになった煙草を引っ張り出した。一本咥えて、火を点ける。
煙を吐き出してから、そっと指先で、一臣が触れた唇を撫でた。
「…バカか…、あいつ」
そう呟いてから、裕貴はふんと鼻で笑った。
深夜のコンビニの前で、一臣と言葉を交わす前から、裕貴はあの少年の存在に気づいていた。
同じ時間帯の同じコンビニで、同じ顔に数回出くわせば、嫌でも目を引く。
それは、裕貴のように、社会の枠組みから外れて生きている不良少年にとっては、身についた防衛本能ともいえるものだった。
深夜、徘徊している少年を狙う補導員、自分たちのような行くあてのない子どもたちを利用して骨までしゃぶりつくそうとする街の獣たち、たいした訳もなく暴力衝動を発散させる相手をただ探している同じような境遇の狂犬もどきの子どもたち――そういった敵から身を守る術だ。
見慣れない顔、逆に目にしすぎる顔――裏社会の最下層に位置し、常に捕食される側の不良少年たちは、そういったものに敏感だ。そうでない者もいるが、そういう者たちは、裏社会の強者たちに喰い物にされて、それで終わるだけだ。
最初に一臣が目についた時、裕貴はすぐに、自分には関係のない種類の人間だ、と選別した。
一臣が、小綺麗な私立校の制服を着たお坊ちゃんだったから、という理由だけではない。
たとえ一見、真面目そうな一般学生でも、油断のならない時もある。脅されて不良のパシリに使われている場合もあるからだ。
しかし一臣は、不良少年に利用されるタイプには見えなかった。
一臣に目を留めた裕貴は、すぐに一臣自身もまた裕貴たちを意識していることに気づいた。むしろ、自分たちの存在を意識した一臣の態度が、裕貴の注意を喚起したのかもしれない。
一臣は、夜毎、コンビニの入口ですれ違う裕貴たちを、明らかに気にかけていた。それでも、一臣は、裕貴たちに話しかけてくるわけでもない。
なに、見てやがんだ、こいつ――
最初は、一臣の視線に苛立った裕貴だったが、その苛立ちはすぐに消えた。
一臣は、裕貴たちに興味本位の好奇の視線を向けているわけではないと感じたからだ。
とはいえ、手入れの行き届いた制服をきちんと着込んだ、育ちの良さそうな長身の少年は、社会からドロップアウトしている裕貴たちを、見下すわけでも、絡まれると怯えているようにも見えなかった。
好奇でも蔑みでもない、一臣の視線――
けっして交わることのない違う世界の住人同士、これまで互いに存在することすら知らなかったまったく違う人間同士が、初めて互いの存在を知ったかのように――ただ、コンビニの入口ですれ違うだけの関係――
一臣もそれ以上の好奇心を向けてこうとはしなかったし、裕貴も、一日置きに少年を見かけることに慣れてきた。
コンビニでいつも同じ清涼飲料水を買い求めていたその育ちの良さそうな少年は、なぜだか、けっして食べ物を買おうとはしなかった。
金持ちそうだから、コンビニ飯なんて不味くて食えねぇんだろうな――
裕貴はそんな風に思っていた。
幼い頃から、親にろくに世話などされてこなかった裕貴にとっては、コンビニこそがおふくろの味だった。
深夜に子どもが買い物に来ても、誰も見咎めない――誰も、裕貴を見ていない。
一臣がコンビニで買い食いをしないのは、ひとえに母親が用意している食事を食べることができなくなると困るという理由からだったのだが、そんな風に育った裕貴には、一臣がコンビニで食べ物を購入しないその理由は、想像もできないことだった。
息子の帰りを、今か今かと待っている母親の用意した食事を、少しでも残したりしたら、一臣の母親の機嫌はたちまち悪くなる――もしくは食欲がないのかと過剰な心配で騒ぎ出すだろう。それが煩わしくて、一臣は帰宅直前に物を口にしない癖がついた。
そんな一臣の家庭環境は、裕貴には想像もつかないものだった。
親が食事の支度をして子どもの帰りを待っている――そんな多くの子どもにとって、当たり前の日常は、裕貴にはけっしてないものだったから――
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- ジャンル:[Novel/Literature]
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