Killer Street

最終章『獣たちの挽歌』13

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数日後、まだ慧の帰らない事務所でいつもの定位置に座っていた橘の膝の上に、笈川が新聞を投げ出した。

「――やってくれたな」

新聞は一面、大見出しが出ていた。

『四友財閥御曹司、失踪』

「朝からワイドショーも大騒ぎだ」

笈川の言葉に、橘は口笛を吹いた。

「相変わらず容赦ねぇな、新城しんじょうの兄貴は」

高遠 孝次郎は新城 彰にケジメを取られたようだ。

「こんなヤバい獲物、良く釣り上げるよな」

橘がけけっと笑うと、笈川がふんと鼻を鳴らした。

相手は天下の四友財閥の次男坊だ。警察も血眼になって捜査をするだろうが、そこにあがってくるのは御曹司自らがヤクザと裏取引をしていた事実だ。

おそらくそれは握りつぶされるだろう。そうなれば――警察は新城組の線を捨てざるを得ない。

ヤクザに殺された――などということになれば、四友財閥は痛む腹をさらに探られることになる。

それは四友の望むところではないだろう。

新城 彰はそこまで読んで、高遠 孝次郎に落とし前をつけたのに違いない。

事件は迷宮オクラ入りだ。


橘も分かっていたから、最後に高遠の会社を訪れた時にくちづけをして言ったのだ――冥土の土産だ――

「慧はどうしてる?」

「葵と村野の女房が交代で看に行ってるよ」

隻眼の舎弟、村野の女房、弥生やよいは、以前ツキヨリ*35で、橘組が胴元で開いたお遊びの鉄火場で面識があった。*36

親も元ヤクザという筋金入りの極道の女である弥生は鉄火肌の姐御で、慧のことも可愛がっている。子どももいる母親でもあるから、きっと慧を良く世話してくれているに違いない。

斉藤を仕留めたあと、意識を取り戻した慧が譫言のように秋光のことを告げた。

ほとんどなにを言っているのか聞き取ることはできなかったが、それでもこの件の奥に秋光が深く関わっていることだけは分かった。

橘は慧を別室に移すと、ひとりで秋光と対決すると決めた。

もちろん笈川は反対したが、秋光は超一流の殺し屋だ。笈川が部屋に潜んでいれば、秋光は必ず勘づく。

秋光 健太郎を見逃すわけにはいかなかった。

橘自身と――なにより慧の命を狙った男――

――もう人には戻れない…

今際の際に秋光が言い残した言葉を思い出した。

痛いところをついてきやがるぜ――

煙草に火を点け、橘は自嘲気味に笑みを漏らした。

初めて人を殺したときから、橘には怖れも怯えもなかった。

殺らなきゃ、自分が殺られるだけ――

そう――思っていたけれど――

目の前の人間が泣きながら命乞いをしても心は動かない――

そいつの死を誰かが悲しもうと心は痛まない――

最初から――自分は人ではなかったのかもしれない――

人間のあったかい血が流れているなんて、実感したことなんて一度もない。

――こんな俺たちに生きる価値なんてない…誰にも必要とされない…

誰にも必要とされていないなんて、とっくの昔に気づいている。

誰にも愛されないことも――

それでもこの地の底にへばりついて、望まれてもいないのに、それでも這いつくばって足掻いている浅ましい自分自身のことなど、今さら言われるまでもない。

それでも――慧に救われた命だ。

少なくとも、あいつだけはどうやら俺に生きていて欲しいらしい。

それがどういう結果を自分にもたらすことになるのか、あいつは分かっているのか――

地獄に引き摺り込むことしかできない――

それでも――

あいつが俺に生きろと言うのなら――

それがあいつの幸せかどうかは知らないが――

どうせ俺は、あいつの手を離すことなんてできやしない――

たとえ慧がどんなに苦しんでも――

あの無垢な瞳、無垢な魂、無垢な体は――俺のものだ。

あいつの命を俺は掴んで離さない――最期のときまで

この血塗れの両の手で――


*35…月一の会合。
*36…本ブログ『BROTHER』参照

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