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Tattoo Maniac

第一章『悪魔の恋』5

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ふたりの刑事が帰ったあとも橘の大爆笑はおさまらなかった。

ソファの上で腹を抱えて笑っている。

「…なにがそんなにおかしいねん」

慧は大阪の出身だった。十年近い東京暮らしで標準語に慣れていた筈なのに、橘のもとに来てからはすっかりもとに戻ってしまった。

慧は、和泉警部補から貰った名刺を手の中でいじりながら、橘を恨めしそうに見た。

なぜだか笈川まで珍しく大きな手で口元を覆いながら、笑いを隠している。

「もうっ、なんなんですかっ」

我慢が切れた慧が喚くと、笈川がようやくこっちを向いた。

「慧…、悪いが男を引っ掛ける時はオデコはやめてくれないか?」

「え?」

笈川の言葉に橘はさらに笑い転げた。

「あんなに考えてることがガラス*8な男も珍しいですね」

もともと笑い上戸で、矢部たちの来訪中から我慢しきれずに事務所の角に逃げていた葛西かさい 哲也てつやが、目の縁の涙を指で拭いながら言った。

「ありゃあ相当な純情ウブだな」

ようやく笑いの発作が治まった橘が、煙草を片手ににやにやしながら言った。

慧はソファで名刺を手に固まっている。

つまり、和泉 翔太警部補は慧にひとめ惚れをした、というのが事務所にいた橘組一同の見解だった。いつものように慧だけがそれに気づいていなかったのだ。

「しかし、よりによって極道の情人イロに惚れますかね?」

そう言って、葛西は再び笑い出した。

慧はいっそ笑い死んでしまえ、と言わんばかりに葛西を睨みつけた。

「王子様願望かねぇ。ヤクザな男に囚われの姫君を助けてぇのかな」

葛西は調子に乗ってそう言った。

囚われの姫君、 、 …。

慧のことだ。

「なにを言ってるんですかっ。俺は男ですよっ」

葛西 哲也は上から下までヤクザにしか見えない男だが、その見た目に反して国立大出のインテリヤクザだった。いつもは橘組のフロント会社でもあるサラスヴァティに常駐しているのだが、今日は用事があってたまたま事務所に滞在していた。

慧は組長の愛人ではあるが、勤めていた会社を辞めて横浜に移ってきた当初、ただの愛人の座に甘んじているのが嫌で、なにか自分にできることをしたいと思っていた。とはいえ、ろくに喧嘩もしたことのない慧に、ヤクザ組織でできることなど限られている。結局、乏しい堅気の経験を生かして、事務所内の書類整理や経理といった仕事を細々と手伝うことになった。昨今は、極道もこうした雑用から逃れられるものではないらしい。

葛西はその頭脳を買われてか、笈川の下で事業部門ともいうべき仕事を任されている。自然と慧も、葛西や笈川の下で働くことが多く、葛西は直属の上司のような存在だった。

だから日頃、世話にはなっている。世話にはなっているけれど、お姫様呼ばわりはない。

たしかに慧は体が大きい割に喧嘩も苦手だし(大きいと言っても身長だけで、痩せ型の慧が強そうには見えないことは認めるが)、渡世のイロハも知らないから身を守ることもできない。組長の愛人という立場上、よからぬことを考えたゴロツキや、野心の旺盛なチンピラにその存在を利用されたりしないようにと、いつも組員の誰かがついて歩いてはいる。最初は落ち着かなかった慧だったが、何度も危険な目に遭った今では、それも納得はしている。

でも、姫君はない。ひどい。慧の男としてのプライドはボロボロだ。

「しかし、あの野郎、慧に目をつけるなんて見る目あるじゃねぇかよ」

「橘さん、それノロケですよ」

にやにやと笑った橘に、葵がすかさず突っ込んだ。橘も笑っている。

橘組は、組長の橘のさばけた性格のせいか、舎弟も組長に気安い。金と面子がかかれば、どんな非道で冷酷な行動も辞さない橘だが、若い衆の軽口や冗談には寛容なのだ。いちいち礼儀だのが面倒なだけかもしれないが。

「この際、オデコの趣味はどうでもいい、裕貴」

笈川が真面目な顔に戻って言った。

「さっきの首なしの不動明王の男、おまえ、知ってるんだな?」

笈川の言葉に、慧も身が引き締まった。

不動明王の男――あの首なし死体の背中の、怒りの形相の銅像は不動明王だったのか。

あの時、矢部の問いにしらばっくれていたが、橘はあの男を知っている。

慧も知っているのだから。

だから矢部刑事があの男の名前を告げた時、思わず声をあげてしまったのだ。すかさず笈川に蹴っ飛ばされて、警察関係者に余計なことを言ってはいけないんだと気づいたから、それを誤魔化すためにコーヒーなど煎れるはめになってしまった。

「慧も知ってる、となると…おとといの新城さんの快気祝いの時か」

さすがに笈川は勘が良かった。

一昨日の夜、同門組織の高目の組長、新城しんじょう あきらから連絡が入った。慧がめでたく退院したと聞いて、快気祝いにごちそうしてやる、というのだ。

慧が撃たれた殺し屋の依頼者は、新城 彰の繋がりで仕事を持ってきた上場企業の幹部社員だった。自分が持ち込んだ男が原因で弟分の愛人が撃たれてしまったことに、新城は責任を感じてくれていたのだが、慧には正直、いい迷惑だった。



*8…素通し。みえみえ。
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