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Tattoo Maniac

第三章『真夏の夜の夢』9

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「一臣…さん…?」

声を掛けると、笈川は我に返ったような顔で慧を見た。

「あ、いや…。すまん…」

笈川は薄く微笑んだ。

「慧、おまえは裕貴にとっては特別なんだ。情人イロの代わりはいくらもいるが、おまえの代わりはいない」

そう言うと、笈川は立ち上がって、慧の頭をぽんと叩いてから座敷を出て行った。

慧の代わりはいない――?

一体、笈川はなにを言っているんだろう。

それは笈川自身のことではないか。

橘にとって、笈川の代わりはいない――それなら慧にも分かる。

笈川は子どもの頃から橘と修羅場を乗り越えて、この世界で互いに支え合って生きてきた。

橘にとって、信頼に値する人間は笈川しかいないだろうし、笈川にとって、命を懸ける人間は橘しかいない。

自分なんて――と我が身を振り返れば、途端に不安しかない。

橘にとって慧なんて、ちょっと毛色の変わった玩具にすぎない。

この世界に染まることもできず、いつまでも堅気を引き摺ったただの愛人――

たしかに慧は他の愛人とは違い、橘の家で暮らすことを許されている。でもそれは慧が自分の身を守ることもできず、橘の足を引っ張ることしかしないからだ。

そう思って、慧はそっと自分の腹に手を当てた。そこにはかつて自分が受けた二発の銃弾の痕が今も残っている。

こんな傷痕にしがみつくつもりなんてないけれど――

でも、これだけは――と思った。

この傷痕だけは、自分がたったひとつ、橘のためにできたことだった。

笈川のようにこの世界で橘を支えることなんて、自分にはできない。極道として生きる才能もない。

だから――この身を投げ出すことしか、慧にはできないのだ。

愛する男にできるたったひとつのことは――自分の命を投げ出すことだけ――

生きていてくれるだけでいい――

この銃弾を受けたあの事件で、慧は橘 裕貴を失う恐怖に心底、震え上がった。

自分に向けて――いや、橘に向けられたあの昏い銃口の恐怖が忘れられない。

自分が撃たれることよりも、橘を失うかもしれないという想像が、慧をすくませた。

だからといって、傍にいればまた橘の盾になれるかもしれない、などと楽観的なことを考えてはいるわけでもない。

なにもできないかもしれない。

それでも――傍にいたい。

だから、自分が退屈凌ぎの玩具であってもいいと思ったから、橘の不貞もすべて飲み込んできたのに、どうして今さら、あんなことを言うのか――

特別だなんて――そんな期待はしたくない。

期待すればまた、苦しむことになるかもしれない――

それが慧には怖かった。
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